HASTELLOY®およびHAYNES® 合金のホームページ

当社の歴史

ヘインズ・インターナショナルの物語は、世紀にまたがる製品、プロセス、そして何よりも人々の物語です。 1912年10月にインディアナ州ココモ(Kokomo)に創立され、100年以上も操業を続けているヘインズの歴史は、また、多くの有名なニッケル基およびコバルト基超合金ファミリの成長の歴史と重なっています。 これらのユニークな材料の進化を辿るとき、航空宇宙、火星ロケット、世界大戦、化学工業、医療用人工装具へのこれら合金の適用の跡を追いかけることになります。

初期の頃

Elwood on Pioneer (J)

エルウッド・ヘインズ(Elwood Haynes)は発明家であり、教師、実験者、ビジネスマン、慈善家でもありました。 彼は1857年にインディアナ州ポートランド(Portland)で生まれ、ウースター工科大学(Wooster Polytechnic Institute)とジョン・ホプキンス大学(John Hopkins University)で教育を受けました。ジョン・ホプキンス大学大学院での彼の研究は、その後に彼が成功した冶金学の研究の基礎になりました。

教師としての短いキャリアの後、ヘインズは石油・ガス産業界で働きました。この時、彼は“horselesscarriage:馬の無い乗り物(自動車)”のアイデアを思いつきました。ヘインズは1892年12月にココモに移り、自動車に取り組む時間をつくりました。彼の最初の自動車である“パイオニア(Pioneer)”は、1894年7月4日に試験に成功しました。米国で最初の自動車の名誉が誰に与えられるべきかについてはいくつかの論争がありますが、”パイオニア”の成功によりヘインズは自動車会社を設立し、1920年代半ばまで高性能車を生産しました。1

飽くなき発明家ヘインズは、変色しにくく食卓用金物適した材料を探していました。何年も実験に失敗した後、彼は1907年に有望な合金を開発し、2つの特許を取得しました:ひとつがニッケル - クロム合金で、もうひとつがコバルト - クロム合金です。

その後の1912年9月、米国特許庁は、新しいコバルト - クロム - タングステン - モリブデン合金に対して2つの特許を授与することをヘインズに通知しました。この出来事により、ココモにヘインズ・ステライト工場(Haynes Stellite Works)が設立されました。

1 J. Frank Duryea tested a horseless carriage in September, 1893

当初、ヘインズ・ステライトは、4人の労働者:エルウッド・ヘインズ、妻のベルタ(Bertha)、息子のマーチ(March)、義兄弟のハリー・ランターマン(Harry Lanterman)による小さな“家族経営”の操業でした。ほとんどの新規事業と同様に、初期の頃の成長はゆっくりとしたものでした。設備は当初、それぞれ15ポンドの合金を溶解することができる16基のガス燃焼炉で構成されていました。3つの異なるグレードの合金を生産し、黒鉛鋳型を用いて鋳造しました。ヘインズは、これらの合金を“Stellite(ステライト)”と名付けました。この名前は、これらの合金に星のような光沢があるため、星を意味するラテン語の”stella(ステラ)”に由来しています。 STELLITE®2に耐久性があるために、初期の頃、これらの合金は主に切削工具に使用されました。これらの切削工具は他の製品よりも長持ちし、最も重要なことは、市販されていた最高の高速度鋼工具の3倍の切削速度を可能にしたことでした。

2. STELLITE is now a registered trademark of Kennametal Stellite, Belleville, ON, Canada

Stellite 1915新会社の年間売上高は、最初の2年間で7,000ドルから48,000ドルに飛躍しました。 1915年10月、ヘインズと2人の地元のビジネスマン、リチャード・ルデル(Richard Ruddell)とジェームズ・C.・パッテン(James C. Patten)は、ヘインズ・ステライト社(Haynes Stellite Company)として事業を法人化しました。ヘインズは実業家よりもはるかに“発明家”であると言われていたので、パッテンは新会社の経営を積極的に引き受け、ヘインズは合金の研究に集中しました。

パッテンのリーダーシップの下で、会社は約25名の従業員に拡大しました。 STELLITE®合金の売上高は増加し、1916年には利益が1,000,000ドルを超えました。会社は、1か月で前年の販売量を上回る量を販売しました。1918年までに売上高は約3,600,000ドルになりました。

Haynes with workers (J)旋盤の切断工具にSTELLITE®合金を使用したことが、この急速な成長の大きな要因でした。この工具は非常に人気が高くなり、機械工はしばしば、夜は家に持ち帰って保管しました。なぜなら、もっと一般的なスチール製工具では、割当作業量をこなすことが不可能であったからです。この用途が、ヘインズ・ステライト社の我国に対する最初の真に重要な貢献の舞台を設定しました。

歴史に対する当社の最初の貢献

Liberty engine (J)第一次世界大戦中、当社合金の戦略的重要性は、工業生産の需要が劇的に増加するにつれてはっきりと明らかになりました。これは軍用航空機エンジンの製造に特に当てはまりました。第一次世界大戦の最も重要な航空機エンジンはリバティ(Liberty)エンジンでした。この400馬力エンジンは、交換可能な部品で量産されるように設計されていました。

休戦前には13,000台以上が製造され、1919年に戦時生産が終了するまでに20,000台以上が製造されました。

キャデラックとリンカーンの自動車を発明したヘンリー・M.・リーランド(Henry M. Leland)は、1918年5月のエルウッド・ヘインズへの手紙で、ヘインズ社の合金が戦争支援に貢献したことへの重要性を以下のように強調しました:

“さて、ヘインズさん、リバティ航空機用に毎日850個の鋼製シリンダーを機械加工しようと試みている、と私が説明することをお許しください。我々はこれらの鍛造材を重切削しなければなりませんが、鋼は非常に硬いので、作業に耐え得る高速度鋼を手に入れるのは不可能です。

あなたは、新聞を読んでおそらくご存知でしょうが、あらゆる製品に押しつけられている圧力が、リバティ・モーターズ社の生産量に対して私たちに押し付けられているものよりもいかに大きいかを想像するのは難しいでしょう。

我々はこのステライトが、高速度鋼または我々が見つけた他の何よりも非常に優れていることを発見しました。

あなたが必要とし、事態の助けになるのなら、我々はPriority A証明書をあなたに提供することができます。我々は、ワシントンの当局が、重要性においてこれよりもランクが上の政府の仕事は他にない、とあなたに言うと確信しています... "

ヘインズ・ステライト社は、戦争支援に欠かせないことが証明された切削工具に加えて、陸軍野戦病院に約40,000個のランセット(外科用メス)も供給しました。 これらのランセットは錆びることがなく、鋭い刃を維持するため、しばしば前線で命を救いました。

新時代

Union Carbide1920年代は会社の新しい時代の幕開けとなりました。第一次世界大戦中に急成長したため、ココモ・デイリー・トリビューン(Kokomo Daily Tribune)紙が報じたように、ヘインズ・ステライト社は買収対象となり、“東部資本家集団”に売却されました。ユニオン・カーバイド(Union Carbide)による当社所有が以降50年間続くことになりました。

大規模工業会社の一員として、新しく命名されたユニオン・カーバイドのStellite Division(ステライト部門)は、研究開発のための広範なリソースを利用できました。

1922年には、ハードフェーシングプロセスが発明されました。これは、弱くて安価な金属の上に強靭な合金を積層する溶接プロセスです。この“溶接肉盛り”プロセスは、現在、農業設備から原子炉格納容器まで、何千もの用途において世界中で使用されています。発表された新しい合金には、J Metal、Star J-Metal、HAYNES® STELLITE® 98M2合金などの商品名が含まれていました。

North foundary electric furnaces (J)STELLITE®合金によるハードフェイシングの最初の用途の1つは、油井掘削でした。 オイル探査は不況の間に成長していたビジネスで、STELLITE®合金でハードフェイシングしたドリル・ビットは、最高の市販合金鋼よりも数倍長持ちしました。 その他の用途には、ガソリンおよびディーゼルエンジンのバルブおよびバルブシートが含まれていました。

ニューヨーク州ナイアガラ・フォールズ(Niagara Falls)にあるユニオン・カーバイドの研究開発施設では、ニッケル - モリブデン合金の耐食性に関する研究も行われていました。

これは実際に、ニッケル基超合金産業の起源となりました。 1921年にニッケル - モリブデン合金の組成範囲の特許が取得され、最終的にHASTELLOY® A合金の発明と、2年後のHASTELLOY® B合金の発明につながりました。ユニークな組成のHASTELLOY® Bは、今日でも製造されています。

1926年にHASTELLOY® C合金が発明されました。この合金の第5世代であるHASTELLOY® C-2000®合金は、今日も化学プロセス業界に供給され続けています。ニッケル - シリコン - 銅合金であるHASTELLOY® D合金も1920年代に発明されました。この合金の最新バージョンはHASTELLOY® D-205®合金と名付けられ、今日、高温、高濃度の硫酸を使用する化学プラントで使用されています。

1930年代は航空機産業の急速な進歩の時代でした。新しい、より高馬力で、空冷式のガソリン燃料のピストンエンジンは、高度の天井と速度の障壁を広げ続けました。信頼性と出力を高めるために、航空機エンジンの排気バルブは、コバルト基のSTELLITE®合金でハードフェーシングされました。チャールズ・リンドバーグ(Charles Lindbergh)のスピリット・オブ・セントルイス(Spirit of St. Louis)とアメリア・イヤーハート(Amelia Earhart)のロッキード・エレクトラ(Lockheed Electra)はともに、ココモで製造されたSTELLITE®合金でハードフェーシングされたバルブを備えたエンジンを使用していました。

大恐慌にさらされた年には、会社は工業および農業用途でハードフェーシング用合金を、成長し続ける化学プロセス業界では新しいHASTELLOY®合金を販売しました。この間に、ニューヨークのナイアガラフォールズにあるユニオン・カーバイドの施設から新しい溶解技術がココモに移されました。HASTELLOY®合金の最初の鍛造品は、インディアナ州ニューキャッスル(New Castle)のインガソル・スチール・アンド・ディスク社(Ingersoll Steel and Disc Company)において代替的に開発され、圧延されていました。

1930年代後半には、歯科用修復材や外科用のボーンピンなどの部品を作るために、新しいタイプの鋳造プロセスが使用されていました。このプロセスは、“ロストワックス”または“インベストメント鋳造”プロセスとしても知られており、会社を最も重要な成長期へと導きました。

戦時

1940年代に会社が事業に乗り出したとき、ヨーロッパでの戦争は始まったばかりで、米国の関与は不可避でした。 第一次世界大戦がそうであったように、第二次世界大戦は当社の未来を変えるであろうと思われました。

当時の航空機エンジンは、性能を向上させ、馬力を増加させるために一般的に過給機を使用しました。 初期のブレードは、HASTELLOY® B合金を鍛造し、機械加工して製造され、1941年頃には、この用途にSTELLITE® 21®および31合金が使用されました。

Cast supercharge bucket (J)過給機メーカーのゼネラル・エレクトリック社(GE)との会議において、Stellite Divisionは、“精密鋳造”またはロストワックスプロセスを使用してタービンブレードの製造を劇的にスピードアップするというアイデアを切り出しました。GEとの協力は、Stellite Divisionを最も重要な戦争支援に押し向けることになりました。

STELLITE®合金と精密鋳造プロセスを組み合わせることにより、会社は、過給機で遭遇する高い温度や応力に耐えることができる“バケット”とも呼ばれるタービンブレードを製造することができました。 STELLITE®合金製バケットを搭載した過給機は、同盟国の爆撃機が対空砲火の上を飛行することを可能にしたため、これは米軍にとって絶対的に重要でした。これらのタービンバケットを製造するプロセスは、戦争中の機密事項であり、工場は高いセキュリティで守られました。

第二次世界大戦中に2500万以上のバケットが生産され、ピーク時の生産量は月に200万を超えました。ヘインズ・ステライト社は、この時点で、米国で最も優れたインベストメント鋳造所であり、使用されるタービンバケットの約70%を供給していました。

タービンバケットは戦争支援に不可欠なものでしたが、会社は旋盤用切断工具を米国全土の機械工場や製造業者に供給し続けました。これらの切削工具は、軍需資材に対する高い生産量要求に応えるためには不可欠でした。

womenworking

戦争支援の結果、Stellite Divisionの雇用者は劇的に増加し、ピーク時の労働者は約2,000人に達しました。 国の男性の多くが軍に派遣されていたため、戦時中の労働者の半分以上が女性でした。

STELLITE®合金と新しいHASTELLOY®合金の両方を使用する別の用途は、米国海軍向けのサーチライトの反射板でした。ココモで溶解したビレットを使用して外部の代替工場によって圧延された板から作られたこれらの金属製の反射板は、割れても粉々にならず、塩水環境においても高い光沢を維持しました。さらに、数千ポンドのStellite Divisionの合金が、原子爆弾開発のための極秘のマンハッタン計画で使用されていました。

戦後、Stellite Divisionの雇用者は約900人に減少し、事業拡大の機会を見つけるために相当な努力が払われました。1940年代後半にココモに鍛造合金工場を設立したことが大きな一里塚となりました。

デッフェンバウ・ストリート(Defenbaugh Street)事業所

鍛造製品の需要の高まりを考慮して、会社は新しい工場を建設することにしました。これよりも以前は、鍛造製品は外部の圧延工場で仕上げられていました。1945年に、主要工場の南にある約100エーカーの土地がデッフェンバウ・ストリート事業所のために購入されました。この新施設には、厚板、薄板、および棒製品の生産のための圧延設備が含まれていました。1948年にそこに設置された幾つかの同じ装置が今日でもまだ使用されています。

鍛造合金を製造する決定は重要な転換点でした。この時点までは、会社が提供しているほとんどの製品は鋳物の形をしていました。鋳造製品と鍛造製品の両方が新工場建設後約26年間生産される一方で、会社の将来は鍛造製品の生産に密接に関連することになりました。今日、これらの鍛造製品がヘインズ・インターナショナルの全事業を構成しています。

新しい耐熱合金

多くの点で、1950年代も会社の重要な変化の始まりでした。新しい耐熱鍛造合金も加えられました。 ニッケル -コバルト - クロム - モリブデン - タングステン合金であるMULTIMET®合金が1949年に登場し、1950年には、今ではHAYNES® 25合金として知られているコバルト合金L-605がはじめて製造されました。

Our laboratory 1950 (J)韓国の紛争(朝鮮戦争)時の大規模な政府との防衛契約は、会社と会社の新しい鍛造合金事業に大きなチャンスを与えました。これらのチャンスの中には、拡大する軍用および民間航空機業界用のジェットエンジンの開発がありました。1952年に、新しく発明されたHASTELLOY® X合金は、適切な時に適切な合金の事例になりました。合金が発表されたちょうどその時、プラット・アンド・ホイットニー(Pratt&Whitney)は、新しいJT-3ジェットエンジンの壊れた燃焼器内筒の代替材料を探していました。X合金が試験され、非常に良好な結果でした。X合金は、最初のボーイング707の動力源となったJT-3エンジン用材料に選ばれ、その後、最初のボーイング727航空機の動力源となったP&WのJT-8Dエンジンで使用されました。60年後、HASTELLOY® X合金は、ガスタービンのホットセクション部品用として最も多く生産されているニッケル基薄板合金の1つとして残っています。

製造の進歩

1956年には、会社は、真空誘導溶解設備を追加して製造能力を拡大しました。この能力は、ゼネラル・モーターズへの年間360,000ポンドのインベストメント鋳造した再溶解棒の供給を維持するために必要でした。

manmovingsheet1960年代は、特にアルゴン酸素脱炭法(AOD)とエレクトロスラグ再溶解法(ESR)の導入による超合金製造の進歩が特徴でした。AODプロセスは、非常に低レベルの炭素を含有する合金を製造します。ESRプロセスは、鋳造組織を精錬し不純物を除去する二次溶解作業です。これらの改良により、耐熱および腐食耐食の両方の用途のための新しいクラスの超合金の開発が可能になりました。最も注目されたのはHASTELLOY® C-276とHAYNES® 188合金でした。

C-276合金は、今では化学および石油化学プロセスで使用される業界標準合金です。一方、188合金は、Pratt &WhitneyのF-100エンジンのようなジェットエンジンのアフターバーナ部品に選択される材料に留まっています。188合金により、ジェットエンジンの設計者はエンジンの温度を300℉高めることができ、その結果、推力と性能が大幅に向上しました。

NASArocket溶解技術の進歩とそれに続く超合金の能力の改良とともに、1960年代には会社に新しい冷間圧延機が導入されました。この圧延機は、会社の薄板、コイル、および帯板製品の生産能力と生産量を大幅に拡大させました。成長している航空宇宙市場は薄板材を大量に使用していたため、新しい帯板圧延機は適切な時期に行った適切な設備増強でした。

ケネディ大統領が月に人間を着陸させるというアメリカの意思を宣言した1960年代はまた、大きなチャレンジとチャンスをもたらしました。当時、会社が製造した真空鋳造再溶解棒のほぼ半分が、特殊なNASAプロジェクトを含む航空宇宙用途の精密鋳造品を製作するために社内で消費されていました。

アポロ計画では、各宇宙船には約2,000のインベストメント鋳造品が使用され、約14トンのニッケルおよびコバルト基の超合金を使用した5基のエンジンを動力源とするサターンVロケットが使用されました。この10年計画が終わるまでに、合計24人の宇宙飛行士が月に旅行し、そのうち12人が月面を歩きました。宇宙開発競争は、航空宇宙市場において当社に多くの大きなチャンスをもたらしました。

拡張期

Cabotユニオン・カーバイドの50年による所有は、マサチューセッツ州ボストンに本社を置く多角的な化学、石油およびガス会社であるキャボット社(Cabot Corporation )によって会社が買収された1970年に終了しました。会社の歴史に敬意を表す方法として、キャボットの経営陣は“Stellite Division”という会社名を使用し続けました。

当初から、キャボットの経営陣が展開したビジネス戦略の目的は、Stellite Divisionを航空宇宙および化学プロセス産業市場向けの平板製品の支配的な生産業者および供給元にすることでした。このコモディティ製品への進出は非常に重要でしたが、同様に重要なことは戦略の二つ目にあり、材料の能力範囲を押し広げるように設計された、商業的に確立された非独占的な合金の新しいファミリー全体の開発に注力することでした。

研究室での試作から生産までの材料のスケールアップを可能にする社内の研究能力を活用して、会社は、最初の50年間では発明もされず商業的に発表もされなかった合金を大量に生産し始めました。次の15年間に約10種類の新しい合金が発表されたことで、この努力は極めて成功であったことが証明されました。

市場の拡大

1970年の大気汚染防止法(Clean Air Act)の施行と1971年のEPAの設立により、耐食合金事業の大きな可能性が示されました。環境改善を促進するための政府の多くの試みには、国の石炭火力発電所に対する硫黄含有ガス排出削減命令が含まれました。この命令は最終的に、主に湿式洗浄ユニットの形で、電力産業において煙道ガス脱硫技術の広範な採用をもたらしました。

これらのユニットは、煙道ガスによって形成される腐食性酸に対して耐性があることが必要でした。C-276合金などの超合金は、これらの重要な用途の多くで使用されました。HASTELLOY® B合金の第2世代であるHASTELLOY® B-2合金、およびヨーロッパの化学工業向けに設計されたHASTELLOY® C-4合金も発表されました。これにより、商業組織の変更も必要になりました。会社は1973年に英国のコービー(Corby)に、1973年にはフランスのリール(Lille)にサービスセンターを開設しました。

1973年のOPECの石油禁輸措置は、私たちの日常生活をさまざまな形で変えました。政府の価格管理、ガソリン配給、高速道路の制限速度の低下、ならびに高騰し続ける物価は、石油やガスの探査をアラスカや北海の真中など、より厳しい場所に追いやりました。これらの機会を認識して、会社は石油・ガス産業における自社合金の適用をより重視し始めました。1977年に、ヘインズは、サワーガス市場において高まる管状製品のニーズを満たすために、ルイジアナ州アルカディア(Arcadia)に管状製品の製造工場を開設しました。

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1978年、航空規制緩和法は運賃、路線、商業航空市場への参入に関する政府規制を廃止しました。この急激な競争にさらされたことで、航空会社に重大な短期間の財務損失が発生しました。この産業におけるその後の壮大な成長を予見する者は誰もいませんでした。

airplane1より高い推力、より良い燃料効率、そしてメインテナンスの必要性がより少ない、新しいガスタービンエンジンに対する航空宇宙業界の必要性は、合金革新の文化には素晴らしい追い風となりました。平均的なチケット価格が60%に低下し、乗客の数が3倍になると、何千もの新しい旅客機の必要性が増加しました。これにより、以降20年間にわたり、当社の全ての新世代の成功した耐熱超合金の開発が促進されることになりました。

製造改善および合金開発

1980年までに、当社の薄板とコイルの製造能力を改善しなければならないことは明らかでした。 新しい用途では、品質管理の向上とコストの削減が求められ、成長のためには製造能力をより高めることが必要でした。 このような理由から、当社は最も野心的な設備増強プロジェクトに着手しました。

作業は、新しい4段コンビネーション・厚板/ホットバンド・ステッケルミル(圧延機)の設置から始まりました。この設備は、厚さ2インチ、幅72インチまでの超合金厚板製品を熱間圧延する能力を有していました。この設備は、厚さが0.250インチ以下で、48インチまでの幅で10,000ポンドのホットバンドを連続して製造することができました。 4段ステッケルミルを設置する以前は、長くて幅の狭い0.250インチの厚板の端と端を溶接することによってコイルを製造していました。コイルを製造するこの方法は、4段ホットバンド圧延では得られない冶金学的性質要求される、いくつかの少量の作るのが難しい合金に対して依然として使用されています。

この圧延機は、ペンシルベニア州ピッツバーグのジョージ・ティッピンズ(George Tippins)によって設計、設置されたもので、圧延荷重は1200万ポンドです。2つのハウジングの重量はそれぞれ38万ポンドで、ドイツで鋳造されました。1982年に設置が完了したとき、Stellite Divisionは最新の熱間圧延機を持つことになりました。この熱間圧延機は今でも、ニッケルおよびコバルト基超合金の圧延用としては世界最大の、最も強力な4段ステッケルミルです。

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4段ステッケルミルの建造

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Battle tank and engine合金の開発も速いペースで進んでいました。 1980年代初めには、HASTELLOY® C-22®、HASTELLOY® G-30、HAYNES® 214®、およびHAYNES® 230®合金などの、いくつかの主要合金が発表されました。これらの超合金はすべてまだ生産中であり、多くの用途において標準的なエンジニアリング材料となっています。超合金の利用は、1980年代に拡大し続けました。

世界中の石炭火力発電所の煙道ガス脱硫装置に対して、数百万ポンドの耐食合金が仕様書に規定される一方で、第一次湾岸戦争ではエイブラムス(Abrams) M-1主力戦車用として数百万ポンドの薄板コイルが米国陸軍向けに生産されました。この戦車は、しばしば再生器と呼ばれる空気と空気の熱交換器を用いた1500馬力のガスタービンエンジン搭載していました。各エンジンの再生器は、約1100ポンドの超合金を使用しました。



statue of libertystatue of liberty construction

: 1986年にリバティ島(Liberty Island)に到着した FERRALIUM®合金255 超ステンレス鋼棒。Langley Alloys, Ltd. からのライセンスを得てヘインズが製造。

この間、当社の合金を使用する別の興味深い用途がありました。1970年代半ばに、当社は超ステンレス鋼であるFERRALIUM® 255合金を製造する権利を獲得しました。この合金は主に化学産業で使用されていましたが、1983年に自由の女神像が修復されたときに、像の内部支持構造の置き換え用に使用されました。自由の女神の王冠のスパイクを固定するために使用されたHASTELLOY® C-22®合金のフラットバーはココモで製作され、国立公園サービスに寄贈されたものです。

その他の会社の変化

Haynes International 19851980年代半ばに、当社の20年に渡る変化が始まりました。 1985年10月、キャボット社はStellite Divisionを売却すると発表しました。1987年7月に一部が別会社として独立し、ココモにあった会社の残りの部分はヘインズ・インターナショナル社(Haynes International, Inc.)に改名されました。1989年9月、ヘインズ・インターナショナルの投資銀行会社への売却が完了し、ココモでのキャボット社の時代が幕を閉じました。

当社の合金やニッケル合金の需要が一般に増加するにしたがって、ワイヤ製品の需要も増加しました。成長するワイヤ市場に対する能力を向上させるため、ヘインズ・インターナショナルは2004年にノースカロライナ州マウンテン・ホーム(Mountain Home)にあったブランフォード・ワイヤ(Branford Wire)を買収しました。2007年3月23日、当社は新規株式公開を完了し、NASDAQに上場しました。

ヘインズ・インターナショナルの今日

Haynes International Today

今日、当社の年間売上高は5億ドルを超えています。私たちはまだ、高機能超合金の開発と製造を盛んに行っています。主要な製造施設と世界的なサービスセンターのこの組み合わせは、高機能合金業界ではユニークです。

新しい合金の発明を続けていく中で、研究開発は依然として当社ビジネスの重要な部分です。ヘインズの技術とマーケティングの専門家は、ソーラーパネルや燃料電池発電、油・ガス探査井の深掘削、発電用の高効率ボイラなど、重要かつエキサイティングな分野の材料を選択するために顧客と緊密に協力して働いています。私たちの合金は、一般的なアスピリンだけでなく、抗がん薬の製造も可能にします。ヘインズ社の製品は、今日飛行しているほぼすべての民間航空機、ならびに米国およびその同盟国の軍用機の部品に使用されています。当社の歴史のなかで発明され生産された合金は、アポロ宇宙船およびスペースシャトルが飛行するたびに一緒に飛行してきました。そして、今日の衛星打ち上げに使用されるほとんどのロケット部品のみならず、火星探査ミッションの最新の探査機“キュリオシティ(Curiosity)”にも使用されています。

1894年、エルウッド・ヘインズがここココモで“Pioneer”に乗ってPumpkinvine Pikeまでドライブしたとき、彼の発明精神に火が付きました。彼はヘインズ・インターナショナルの設立へと導いたユニークな金属合金を開発した疲れを知らない発明家で、私たちに優れた合金をコミットメントすることを浸透させ、私たちに革新の伝統を吹き込みました。

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